STORIES
Stories of the DEVeL PROJECT:1998年(6年目)と1999年(7年目)
99年をふりかえる。
n.matsuno
平成12年02月29日
■6年目のDEVeLについて
大会スポンサーがホンダへと変わった98年、DEVeLは言うならば「マイナーチェンジ」のようなものを行なった。
しかしながら、外見・中身とも、今までのものとは全く異なったものとなった。 今までの「DEVeL−X」での欠点を補う形で改良は進められた。

まず、はじめは冷却効果を期待した「アルミパンチングメタル」のソーラーパネルだったが、季節の変化によって、かなり伸び縮みすることがわかり、伸び縮みの少ない、「フォーマック」で製作 した。
また、ボディは溶接をしなおしてもらい、空力面の改良と共に、フレーム全体をFRPで巻くことによって、フレーム合成の向上を行なった。
そして足回りは、フニャフニャだったFショックをPushロッド(NSR50用ショック)にすることで、走行の安定を図った。
以上の改良によって、クルマがどう変わったか…まーその辺はネギタ君にまかせるとしよう。

鈴鹿でのレース結果は、総合19位(クラス9位・週回数55LAP)と過去最高となった。
■99年のDEVeLについて。

99年、大会規則が大きく変わった。今まで3ヒート・8時間(3h・2h・3h)だったものが、2ヒート・8時間耐久(4×2ヒート)に変わり、1ヒート中にドライバー交代が義務付けられた。

しかし、技術規則に大きな変化はなく、98年のマシンのポテンシャルアップを目的とした改良を行なった。
まず、前からアンダーステアだった足回りを少しでも改善するために、ホイールにOffsetをつけることにした。
また、バッテリーを長年使っていたYUASAからGS製に変更し、98年の試走会や、神戸のときにインパネ内部の配線(いわゆる魔人配線)がよく切れたりしたので、インパネを作り直し、配線・計器類共に信頼性を上げた。

本来は、それだけで(改良を)終わらせようとしていたのだが、6月の試走会、Cライ講習会のための準備をしていたとき、1stコーナーで強風にあおられてスピン・パネルが大破。フォーマックとアルミをあわせて作ったパネルは、アルミの骨が何枚か突き抜け、パネルに穴が空く形となった。その翌日から太陽電池をはがし、半分無事なものを選び、残りを新品にした。また、土台となるパネルは、同じ形状のものをアルミなしで作り上げた。大きな変更をしなかったことと、天候にも恵まれてパネルは大会10日前には完全に修復され、 試走とテストを大会までに繰り返すことができた。
■いんぷれっしょん

98年のマシンには全くと乗ったことがないため比較ができないが、99年型の印象を自分なりにまとめてみた。

13:00より8時間耐久・第1ヒートが始まった。周りの様子を見ながら1周約7〜8分ペースで順調に集会を重ねていく。が、9周目(約1時間後)に、「リヤ(チェーン)のあたりから異音がする。」とネギタが一度ピットへ戻ってきた。 後ろからモーター・スプロケ・チェーンなどを確認したが、特にへんなところはみられずそのままだすことに。その結果、ヘアピンの出口(まっちゃんコーナー)でついにチェーンが外れ立ち往生する こととなる。 16:00くらいにネギタがピットロードを下り坂を利用して、惰性で下りながらピットまで戻ってきた。ネギタがマシンから降りるのを待ち、後ろにウマをかけ、下に潜り込む。 そして、モーター・スプロケットなどをはずす。そして出てきたものは、軸の曲がったモーター・異様に擦り減ったスプロケット・伸びて変形したチェーンであった…。 ピットではどうしようもなく、スプロケとチェーンを予選で使用していたものに付け替えて、自分がコースに出た。 スロットル(ボリュームスイッチ)を恐る恐る開けていく。するとモーターがスイング アームを引っ張るかたちになって、いやな振動音がフレームを伝わって耳に響く。共振するためか40〜45q/hぐらいになると振動がひどくなるが、スピードを上げるとだんだん小さくなっていく。 振動といつはずれるかわからない恐怖を抱えながら3周して第1ヒートのチェッカーをギリギリに受けることができた。ちなみにマシンを降りたとき、キンキン耳鳴りがしていたのを今でも覚えている。

最終結果は、総合27位(クラス14位・週回数41LAP)で、予選タイムは5’17”26(非公式)であった。
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